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歴史

日本で弾圧されたキリスト教は、ふるさとでは弾圧する側だった...キリシタンとユダヤ教徒の〈隠れの思想〉

2023年09月06日(水)10時55分
坂本英彰(産経新聞社大阪本社編集委員)

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二十六聖人記念碑 筆者撮影
 

フェレイラは『沈黙』では魂を捨てた敗残者のように描かれるが、ラテン語、スペイン語と日本語に通じ、天文学や医学などを日本人に伝えた棄教後の人生を小岸氏は高く評価した。

またカトリック教会に恥辱を与えたフェレイラの「転び」に、〈神の栄光よりも現世肯定を選ぶ〉マラーノ的な精神の活動を認めている。     

生き続けることを重んじたマラーノや隠れキリシタンは宗教に殉じて身を亡ぼすことは選ばなかった。宗教を自らに取り込む〈二重生活〉を実践した。

弱き者や裏切り者とみられてきた彼らの〈隠れの思想〉にこそ、世俗の精神を推し進める力学があると小岸氏はいう。

〈改宗と「隠れ」という、社会的には屈辱的に見える現象の中にこそ、近代の合理的・世俗的な思考の鉱脈が走っている〉とし、理性や合理主義を重んじた哲学者スピノザをあげた。

ポルトガルからオランダに逃れたマラーノの両親から生まれたスピノザは、ユダヤ人共同体とも決別し、キリスト教にも改宗せず汎神論の立場を取った。

民主主義や政教分離、信教の自由といった近代的価値観の形成に大きな影響を与えた哲学がマラーノを母体に生まれたとすれば、〈隠れ〉のDNAはもはや近代人に内在しているともいえる。

職場や地域や家庭、さらには政治や宗教の場といった個人が属する多様な場面でそれぞれに適切な自分を使い分ける私たちはすでに、何重もの〈隠れ〉を実践しているのかもしれない。

日本二十六聖人殉教記念碑がにぎやかな現代都市にある歴史モニュメントだとわかったのは、現地を訪れた収穫であった。

21世紀にあって宗教やイデオロギーに凝り固まることや、非合理的なものに全人格を傾けてしまう没入は、人類が乗り越えてきた過去への退行でしかない。理性や知性をかなぐり捨てて得る利益は何もないはずだ。

本稿を書くに当たって小岸氏が昨年8月23日、84歳で亡くなられていたことを知った。不思議な因縁を感じる。〈隠れの思想〉は今こそ光が当たるべきテーマであろう。


坂本英彰(Hideaki Sakamoto)
1963年和歌山県生まれ。同志社大学文学部卒。1989年、産経新聞社入社。社会部、文化部、外信部などを経て2023年から大阪本社編集委員。2001年に米コロンビア大学大学院に留学、政治学を専攻し修士号取得。歴史や神話関係の記事多数。2022年1月から『わたつみの国語り』を大阪本社版とウェブ版で連載。


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