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生命倫理

なぜここまで書くのか?...遺伝子をめぐる「2つの家族の物語」

2023年11月01日(水)11時20分
河合香織(ノンフィクション作家)

本書は、「遺伝的に受け継がれていく狂気」と呼ばれたこともあると綴られるハンチントン病をめぐるウェクスラー家の物語から、原因遺伝子の特定に至るまでの道程を描いたものである。

ハンチントン病はかつては舞踏病と呼ばれたこともある神経難病で、手足や顔の不随意運動、そして著しい精神症状が表れることが特徴である。根本的な治療法はない。常染色体顕性(優性)遺伝疾患で、親から子に遺伝子変異が受け継がれる確率は50%である。

物語は1968年に著者の母がハンチントン病だと診断されたところから始まる。それは著者のアリスと妹のナンシーもまたこの病気になる可能性があることを示唆していた。

本は2つの旋律によって進んでいく。一族の中で「あの病気」と密やかに伝えられてきた家族の物語、そして遺伝子マーカーの発見など病気の解明に立ち向かう研究者としての軌跡。その両者は1冊の中で、高く低く響き合う。

ウェクスラー家は病気と闘うには非常に恵まれた一族だった。

母は遺伝学を学んだ生物学者。精神分析家の父は、妻の病気がわかる前に離婚していたにもかかわらず、異なる専門領域の研究者たちを集め、遺伝学財団を率いて、病気の解明に立ち向かう。臨床心理学者である妹のナンシーは、ヴェネズエラにおける大規模な調査を牽引し、ハンチントン病の遺伝子マーカーを発見するために尽力する。

そのような点からすれば、これは類稀なる成功物語とも読めるだろう。病気やその治療法の解明は、研究者だけではなく患者や家族との協働によって奏功する実例として、その後様々な患者と研究のあり方に大きな影響を与えた。

ただし、この本が投げかける問いは、そのような安易な要約ではすまされない。遺伝子マーカーが発見され、遺伝子が同定された。それで当事者は安心を得られ、自分の人生を選択でき、幸せになったのかといえば、そう簡単ではなかった。

著者は検査を受けるかどうか葛藤する。いまだ治療法がない以上、検査を受けて知ることができるものは何かを考え抜く。著者も妹も母の病気を知った時にいったんは子どもをもつことを諦めた。

だが、出産可能年齢のリミットが近づくにつれ、子どもをほしいと強烈に思うようになる。そのために遺伝子検査を受ける必要があるのか、さらに出生前検査の存在も大きな悩みの種になる。しかし、もしも陽性だった場合は死の宣告のように受け取るかもしれないと著者は考える。さらにそこには家族の思いも絡まる。父は、娘たちが検査を受けないことを祈っていた。

そうして、著者は思い至る。人生の曖昧さから逃れたいと思って検査を受けても、検査は不安をきれいに取り除くことはないのだと。遺伝子を引き継いでいることが判明したとしても、いつ病気が発症するかは誰にもわからない。

その頃、米国では検査を受ける人は勇気があり、自分の人生を選択する主体的な人間だと思われていたと書かれる。さらに、子をもつ可能性がある女性は、特に検査を受けるべきだという重圧を周囲からかけられていたジェンダーの問題もあったという。

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