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経済史

世界的な経済力を誇る「都市国家シンガポール」のルーツは「イギリスの植民都市」という定説への疑問

2024年03月20日(水)09時55分
小林篤史(京都大学東南アジア地域研究研究所助教)
シンガポール

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<イギリス東インド会社の貿易拠点であり、アジア各地への中継流通拠点として発展したシンガポール。「華人の世紀」の最盛期に設立されたユニークな「貿易都市」について>


2015年12月末、東南アジア諸国連合(通称アセアン)は「アセアン経済共同体(ASEAN Economic Community)」を発足し、加盟国間の経済統合を進めてきた。

その目指すところは、加盟国総人口6億人という市場規模を生かした経済発展、先進・中進国から後進国への技術供与や生産拠点の移動、そして域内経済格差の解消に取り組むことである。

中でも飛びぬけた経済力と世界的プレゼンスをもつのが、シンガポールである(*)。その存在なくしては、アセアン経済共同体の掲げる地域経済統合による単一市場・生産拠点の創出という目標も、達成が困難であることは間違いない。

しかし、そのルーツは独特である。過去、東南アジアで栄えたマラッカ王国の伝承でシンガプラと呼ばれたマレー半島南端の島に、1819年にイギリス東インド会社が自由港シンガポールを設立したことに起源がある。

イギリスのアジアにおける中継貿易拠点として経済発展するとともに、住民の大多数は中国系移民(主に労働者や商人)によって占められていった。その歴史的起源は、外部勢力によって東南アジアに築かれた植民都市という見方が一般的になっている。

だが果たして、過去2世紀に渡り東南アジアでその存在感を発揮してきたシンガポールのルーツを、表面的に「外来のもの」と捉えても良いのだろうか? その設立と発展の軌跡を地域内部の自律的な歴史の流れに位置付けることはできないのだろうか?

近年、東南アジア史の大家であるアンソニー・リードが、その研究集大成となるA History of Southeast Asia: Critical Crossroads(邦訳『世界史の中の東南アジア:歴史を変える交差路、上下巻』)を出版した。

彼は近世東南アジアでは経済、国家、社会文化の大きな発展があったという「商業の時代」を提唱した。その最も重要なメッセージは過去1000年に渡り、東南アジアは多様でありながら地域共通の歴史を形作ってきた、という点である。

リードの東南アジア史は商業の役割を重視する。商業は地域文明間の交流を体現するものであり、広く東南アジアでは商業を介して外来文明の影響を受けた経済、国家、文化の発展が起こってきた。

他方、商業は東南アジアに危機の時代も招来した。一度目の危機が17世紀半ばにオランダ東インド会社の貿易独占による商業の停滞であり、二度目が19世紀半ば以降の西洋植民地化であった。

こうした西洋勢力による東南アジア史の「断絶」は通説であったが、むしろリードは二度の危機に挟まれた18世紀~19世紀前半の現地主導の自律的な社会経済の発展に注目することで、外来勢力による断絶を超えた、東南アジア地域の基底的な歴史展開を提示する。

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