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南米街角クラブ

島田愛加|ブラジル/ペルー

追悼:サッカーの王様ペレと音楽

ペレが旅立った翌日の新聞の一面。ブラジルだけでなく世界各国の一面となっている(photo by Aika Shimada)

サッカーの王様ペレの容態が悪化しているという知らせがあったのは、ちょうどカタールワールドカップが盛り上がっている頃だった。

ブラジル代表の選手たちやサポーターは韓国との試合に勝利した後「Pelé!」と書かれた横断幕を掲げ、闘病中のペレを応援した。
残念ながらその後ブラジルはクロアチアに敗退してしまったが、ペレは入院先の病院からワールドカップを最後まで見届け、隣国アルゼンチンの優勝に対して「天国でディエゴ(マラドーナ)が微笑んでいるだろう」と祝意を表した。

ペレの容態は回復せず、家族とクリスマスを病院で過ごし、12月29日午後3時27分に天国へ旅立った。
サッカー選手だけでなく、政治家や著名人もペレに追悼の意を捧げ、ボウソナロ大統領は3日間喪に服すよう発表。私のSNSのタイムラインはペレでいっぱいになり、テレビでは特別番組も放送された。

サッカー大国ブラジルには、素晴らしい選手が沢山いるがペレは今でも特別な存在である。
ずば抜けたプレーの凄さはもちろんだが、ペレには人を惹きつける魅力があった。

多彩な才能の持ち主で、サッカー以外では特に音楽が好きだった。
現役時代、ペレがギターを弾き語りする様子がテレビ番組で放送された。

1968年には音楽界のグラウンドに正式デビュー。
自身が作詞作曲した楽曲を当時の売れっ子歌手に提供した。


↑ウィルソン・シモナルによって歌われた「Gosto Tanto De Você」(意:君がとても好きだ)
「君がなくては生きていけないよ」という可愛らしい女の子に恋をする曲。


↑ジャイール・ホドリゲスによって歌われた「Recado À Criança」(意:子どもたちへの伝言)
子どもたちにブラジルの希望を伝える楽曲。夢を叶えたペレからのメッセージ。

いずれもクレジットはペレの本名であるエジソン・アランチス・ド・ナシメントと表記されている。

この1年後には、自身の楽曲にて国民的歌手であるエリス・レジーナとデュエットし歌声を披露。

↑「Vexamão」(意:羞恥心)は、エリスに「ペレ、私のために歌ってよ~!ギターが上手いって聞いてるわよ!」とお願いされるペレが「いや、歌わないよ。僕はそんな良い声じゃないから。それに...」といった会話からはじまる。そして、ペレが"歌いたくない理由"を歌うと言うなかなか面白い楽曲。
ペレは歌の中で、「番組でギターを渡されたので歌ったら、間違えて歌っていたのに途中で止められなくなって恥をかいた」というエピソードを語っている。確かに、ペレの歌は特別上手いとは言い難いが、本人もそれをわかっていたようだ。

1977年に現役を引退した際に放送されたドキュメンタリー映画のサウンドトラックとしてアルバムをリリース。もちろんペレ本人も歌で参加している。

↑当時アメリカ合衆国で活躍していたセルジオ・メンデスがアレンジとプロデュースを行った。

同じく1977年には音楽界の王ホベルト・カルロスと共演。
ブラジルで「王」と呼ばれるのはペレとホベルト・カルロスだけである。2人の王の共演中、ペレが「ホベルト、気づいているかもしれないけどサッカー選手とミュージシャンの人生って似ていると思わない?我々は常に準備万端でなければならないし、沢山練習しなければならないよね」と話すのが印象的だ。
ホベルト・カルロスはペレの訃報を聞いて「世界各地で『あぁ、ペレのブラジルね』と言われるのには感動した」とペレの偉大さを自身のInstagramに投稿した。

↑ホベルト・カルロスとペレの共演はテレビ番組で放送された。

ペレは音楽だけでなく国際的な広報活動や映画出演など幅広い分野で活躍し、フェルナンド・エンヒッキ・カルドーソ政権下ではスポーツ大臣を務めた。その縁もあり、教育省からの依頼で識字教育についてのキャンペーンソングを歌った(1998年当時、15歳以上の非識字率は10パーセントを越えていた)。

↑「全ての子どもたちが学校で学び、読み書きを覚えられるように」というメッセージが込められている。

もちろん、ペレに捧げられた楽曲も沢山存在する。


↑サッカー大好きなジョルジ・ベンジョールは「王の名前はペレ」という楽曲でペレの功績を歌った。

↑カエターノ・ヴェローゾはペレが最後に所属していたアメリカのチームにて現役引退をした際のスピーチで使われた「Love Love Love」というフレーズをペレの言葉として楽曲とタイトルに引用した。

ペレが最後に録音した楽曲は2016年のリオデジャネイロオリンピックに参加する選手たちに向けた「Esperança」(意:希望)。
そのタイトルの通り明るいサンバ調の楽曲で「決してあきらめないで」と強いメッセージが込められている。この曲でペレはラップにも挑戦している。

↑ビデオクリップには現役時代の映像や所属していたチームであるサントスFC、ペレ博物館などが登場する。

引退後も「ブラジルの顔」として活躍し続けたペレ。
もう一人の王ホベルト・カルロスが1977年の番組で言ったように、ペレはサッカー選手であり、象徴であり、模範であり、偉大な人物だった。彼が残した功績は計り知れない。ペレは永遠であり続けるだろう。

最後に、ペレの素晴らしいゴール、ドリブル、パスの映像を是非ご覧いただきたい。

 

Profile

著者プロフィール
島田愛加

音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。

Webサイト:https://lit.link/aikashimada

Twitter: @aika_shimada

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