コラム

「トランスジェンダーであるだけで殺される国」パキスタンに「LGBT法」成立

2018年05月24日(木)14時24分

パキスタン初のトランスジェンダーのニュースアンカー、マルビア・マリク氏 Mohsin Raza-REUTERS

<個人の事柄である「性」を、公的なものとして国が保護しようという姿勢は、日本より進んでいる>


・パキスタンでトランスジェンダーの権利を認める法律が成立した

・イスラーム圏では性的少数者が差別されることが多く、パキスタンの事例は基本的に個人の事柄である「性」が、国家によって法的に保護されるべき公的な事柄として扱われる、現代の世界の象徴でもある

・日本ではLGBT法の議論がほとんど進んでおらず、性をあくまで「私事」として扱うことは、結果的に性的少数者の権利を保護しないことにつながる

2018年5月10日、パキスタン議会はトランスジェンダーの権利保護を定めたトランスジェンダー法を成立させました。

パキスタンは人口のほとんどをスンニ派のムスリムが占めます。イスラーム圏では性に関する伝統的な解釈が一般的で、同性愛に最も重い刑罰で死刑が課される国さえあります。

そのイスラーム圏の一角を占めるパキスタンで、トランスジェンダーに対する差別が法的に禁じられたことは、本来的には「私事(わたくしごと)」である性が「公事(おおやけごと)」となる、世界的な潮流を象徴します。

パキスタンのトランスジェンダー法

パキスタンで成立したトランスジェンダー法は、各人が男性、女性、そしていわゆる第三の性のいずれかを自らの性として表明する権利を保障し、パスポートなど公的な身分証明書での記載も定めています。個人の属性を公的な書類で明記することは、法律上その個人の存在が公に認められることで、その権利を国家が保護するための第一歩です。

パキスタン初のトランスジェンダー・モデル


同法には、教育、雇用、医療などの現場でトランスジェンダーであることを理由とする差別、不公正な扱い、ハラスメントを禁じる条項もあります。

これらを努力目標で終わらせず、実効性あるものにするため、保護施設の設置、公務員の研修、性別ごとの刑務所の設置などが定められています。

さらに、後述するように、トランスジェンダーが経済的に困窮することも多いため、同法ではその解消のための措置も盛り込まれています。財産相続権が明記されたことや、企業や役所で雇用者の3パーセントをトランスジェンダーに割り当てるクウォーター制が導入されたことは、これに当たります。

この法令の違反によって不利益を受けた者は、刑事訴訟法や民事訴訟法に基づき、国家人権委員会に申し立てできます。

トランスジェンダー差別と迫害

パキスタンのトランスジェンダー法は、欧米諸国のLGBT保護法と比べても、総じて遜色のないものです。

ただし、トランスジェンダーに対する差別と偏見は根深くあり、ヘイトクライムも珍しくありません。現地NGOによると、2015年1月から2018年3月末までの間にパキスタン北西部だけで、トランスジェンダーを標的にした殺人事件が55件発生しています。

詳細は明らかにならないことが多いですが、パキスタン・タリバン運動(TTP)やアルカイダ、イスラーム国(IS)などの過激派による組織的な犯行は少ないとみられます。調べた限り、これらが犯行声明を出したケースはほとんどありません。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル小幅高、FRB当局者は利下げに慎

ワールド

米、ウクライナ軍事訓練員派遣の予定ない=軍制服組ト

ビジネス

米国株式市場=ナスダック最高値、エヌビディア決算控

ワールド

ICC、ネタニヤフ氏とハマス幹部の逮捕状請求 米な
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:スマホ・アプリ健康術
特集:スマホ・アプリ健康術
2024年5月28日号(5/21発売)

健康長寿のカギはスマホとスマートウォッチにあり。アプリで食事・運動・体調を管理する方法

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 2

    娘が「バイクで連れ去られる」動画を見て、父親は気を失った...家族が語ったハマスによる「拉致」被害

  • 3

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 4

    米誌映画担当、今年一番気に入った映画のシーンは『…

  • 5

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 6

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 7

    ベトナム「植民地解放」70年を鮮やかな民族衣装で祝…

  • 8

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 9

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 10

    「親ロシア派」フィツォ首相の銃撃犯は「親ロシア派…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 5

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 6

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 7

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の…

  • 8

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    娘が「バイクで連れ去られる」動画を見て、父親は気…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された─…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story