最新記事

フランス

フランスで怒りの追悼行進──救急車に来てもらえず女性が死亡、医療体制劣化が原因か

2018年5月22日(火)17時20分
広岡裕児(在仏ジャーナリスト)

救急医療制度に不備があるわけでもない。フランスの制度はしっかりしている。

オペレーターが所属していたのはSAMUという救急医療の公共機関である。SAMUの電話番号は全国どこでも15だが、このほかEU共通緊急番号(112)や警察、消防に入ってきた通報もすべて15に転送され、集約される。ムセンガさんが連絡したのも消防署だった。SAMUは県単位で救急外来をもっているさまざまな病院と協定を結んでおり、搬送は比較的スムーズに行われている。

通報を受けたオペレーターは自分で判断せず、常駐医が判断する。救急出動が必要なら救急車を出動させ、それほどでなければ電話を直接救急医に回し、医師が電話で診察をする。

ムセンガさんの事件を受けて、保健大臣はさっそく専門家会合を開き、改革を発表した。まず電話オペレーターの職業訓練を充実し、最低2年かかる国家資格とする。そして無作為抽出でオペレーターの対応を定期的にチェックするなど、監査を強化する。

ムセンガさんに対応したオペレーターは、医師に相談せず自分で判断するという規定違反を犯している。また抽象的に「どうしたの」と聞くのではなく、はじめから親身になって「どこが痛いの」と聞けば、対応はかわってきていたかもしれない。

本人が特定できない形でテレビに出演したオペレーターは、「自分だけの処分で終わりにしてほしくない」と訴え、12時間連続で働かなければならないなど勤務条件の悪さを指摘した。たしかに日本の119番通報は2013年度で865万6476件(消防白書)なのに対してフランスでは2014年に3100万件(SAMU白書)もの通報があった。それだけオペレーターの負担も大きいといえるだろう。

自由診療を優先した結果が

2017年7月、日本の参議院にあたる元老院の社会事業委員会が救急医療に関する報告書を発表した。それによると、患者数は1996年からの10年間で2倍になった。救急外来の利用者の増加は、より大きな医療保健衛生体制全体の機能不全の反映であるという。

機能不全の原因の一つとして、報告書は2003年に始まった自由診療を優先する政策をあげる。医師の収入が増えるので開業は促されるが、予約患者以外を扱いたがらず、こぼれた人が救急外来に来てしまう。

さらに失業や不安定雇用、貧困といった社会要因が加わる。本来保険で治療を受けられるはずなのだが、自由診療優先政策のしわ寄せで保険医が足りない。普通に治療を受けていれば治る病気が重症になってしまったり、逆に軽い病気でも安い公立の救急外来にきて救急医療に負担をかける。

フランスは国民皆保険で伝統的に良質な医療を提供してきたが、財政難の中で維持がだんだんむずかしくなってきている。ムセンガさんも壁にぶち当たった医療システムの犠牲だったといえるだろう。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

米・イランが間接協議、域内情勢のエスカレーション回

ワールド

ベトナム共産党、国家主席にラム公安相指名 国会議長

ワールド

サウジ皇太子と米大統領補佐官、二国間協定やガザ問題

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 3

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの過激衣装にネット騒然

  • 4

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 5

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 6

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 7

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 8

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 9

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 10

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中