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イヌは人間の心を動かす表情を進化で獲得した......ではネコは?

2019年6月27日(木)11時50分
秋山文野

イヌで起きた進化、ネコではどうなのか......

こうした進化がイヌに起きたのであれば、ネコやウマなど家畜化されたほかの動物はどうかという疑問が生じる。米Science誌の記事によれば、動物とヒトとの視線コミュニケーション研究はこの20年ほどで急速に発達してきた分野なのだ。

1996年、米エモリー大学の進化人類学の研究者ブライアン・ヘアーとハンガリー、エトベシュ・ロラーンド大学の動物行動学者アダム・ミクロシは「イヌはヒトの指差しを理解できる」という論文を発表し反響を巻き起こした。指差しは「この物体を見よ」いう意味を持つ手のしぐさで、ヒトの幼児はその意味を理解できるがチンパンジーは理解しない。

オレオという名のラブラドールレトリバーで行われた実験は「イヌ科の認知革命」といわれ、その後の多くの研究につながった。指差しだけでなく「凝視」によって視線を誘導できることや、イヌはヒトの表情や言葉に込められた感情を理解できること、公平さや道徳の感覚さえ持っていることがわかった。こうした能力のおかげで、イヌはヒトの仲間として信頼され、社会的に複雑なタスクをこなすことができ、盲導犬や救助犬、麻薬探知犬といった分野で活躍している。

ミクロシらは、こうした研究を他の動物に広げようと、ネコでも実験を始めた。だがネコはイヌと社会性が異なるため、なかなかうまく行かなかった。たとえば、実験はネコの脱走との戦いだ。研究室という慣れない環境や知らない人間を怖がって、実験を離脱してしまうネコは少なくないという。ミクロシによれば「1件の役立つデータを得るには3匹のネコをテストする必要がある」といい、3分の2のネコが離脱してしまうというわけだ。

米オレゴン州立大学の研究者クリスティン・ヴィターレは、ネコの認知を研究するための地道な下地づくりから始めた。大学内に「子猫幼稚園」をつくり、人が多い環境やリードをつけて歩くことに慣れさせるなどネコのストレスを減らして、怖がらずに実験に参加しやすくしたのだ。

ネコは飼い主との間に強いきずなを持っている

辛抱強い研究のおかげで、ネコとヒトとのコミュニケーションのあり方が解明されてきている。ネコは飼い主との間に強いきずなを持っていて、ネコと一緒にいる部屋から飼い主が出ていってしまうと寂しげに鳴き始める。まるで2歳の子供がトイレに入る母親を追いかけるようだ。飼い主が戻ってくると安心して体を飼い主に擦り付け、それから何事もなかったかのように部屋の隅の匂いをかいだり、おもちゃで遊んだりしはじめる。これは飼い主に関心を持たないのではなく、心を安定させる「セキュリティブランケット」のように飼い主をみなしているのだという。

大好きな飼い主の言葉には、一定の「説得力」があることもわかってきた。多くのネコは掃除機や扇風機などうるさい音を出すものが嫌いだ。だが、ヴィターレの指導で、飼い主が実験室の扇風機をネコに紹介しながら「素敵な扇風機ね」「扇風機と友達になりましょう」と優しく話しかけると、ライラという名のネコは扇風機の傍らでおとなしく横になる。飼い主・クララの言葉に含まれた肯定的な感情を読み取って、敵意や警戒心を減らすことができるのだ。

そして、カールという名の白黒の毛並みを持つネコは、20年前にイヌのオレオがやり遂げたのと同じ成果を上げた。ヴィターレの指差しを正しく認識し、指が向いた紙製ボウルの方向に視線を向けたのだ。なんの特徴もない紙製ボウルは2つあり、指差しの意味がわかっていなければ意図する方を見ることができない。道端のゴミバケツに捨てられていたところを保護されたというカールだが、今ではヴィターレと強い絆を結んだ研究室のスターだ。

ミクロシは現在、イヌが持っている「動物」「風景」などの絵を分類する能力をネコも持つかどうかの研究を始めているという。イヌと同様にネコも高度なコミュニケーションを持つ、という研究が進み、進化の過程と共に明らかになりつつある。

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