コラム

日本人が知らない、社会問題を笑い飛ばすサウジの過激番組『ターシュ・マー・ターシュ』

2021年06月02日(水)17時20分
サウジアラビアビアのアブダッラー前国王

番組を好きだったといわれるサウジアラビアビアのアブダッラー前国王(2007年) Dylan Martinez-REUTERS

<女性、部族、官僚、宗教の問題を笑いの標的にした喜劇が、なんとサウジ国営テレビで放映され、大人気だった。「テロリズム・アカデミー」なるエピソードもあり、前国王も大ファンだったという。サウジ社会が変貌を遂げる前の話だ>

サウジアラビアの著名な演出家アブドゥルハーリク・ガーニムがダンマームの病院で死亡した。63歳だった。しばらくまえから、前立腺癌で長期にわたって闘病中である様子がメディアで報じられていたので、多くのファンが心配していたのだが、結局、復帰はかなわなかったようだ。慎んでご冥福をお祈りします。

といっても、大半の人にとって、アブドゥルハーリク・ガーニムっていったい誰?という感じであろう。しかし、彼はサウジアラビアではもっとも著名なテレビ演出家の一人とみなされており、知らない人はいないという存在だ。

代表作は1993年から毎年ラマダーン月にサウジ国営テレビで放映され、サウジアラビアのみならず、アラブ世界全域で大人気となった『ターシュ・マー・ターシュ』である。とはいえ、この作品だって、日本ではまったく知られていない。

アブドゥルハーリク・ガーニムの訃報に接して、私はサウジ人から教えてもらったジョークを思い出した。それは、地獄にはサウジ人だけが入る地獄があるという話だ。

その地獄では、サウジ人は清潔なベッドとテレビのある瀟洒な部屋に入れられる。しかも、おいしい食事が3食提供される。これのどこが地獄なのかというと、そのテレビはサウジ国営テレビしか映らない、というのがオチだ。

つまり、サウジ国営テレビの番組はめちゃくちゃ退屈で、どんなに心地いいところに住んでいたとしても、それしか見るのがないのは地獄にも等しいというわけである。

たしかに、私がサウジアラビアに住んでいたころに見ていたサウジ国営テレビは朝から晩まで抹香くさい宗教番組や政府の公式見解しか伝えないニュース番組ばかりで、およそ娯楽とはほどとおいものであった。

たまにハリウッド映画を放映したりするのだが、その場合も、ヌードはもちろん水着の場面も全カットされ、さらに酒を飲んでいる場面もご法度ということで、ズタズタに編集されてしまう。

お金をもっている人たちは、衛星放送で欧米の番組をいろいろ見られるのだが、私が住んでいたアパートはサウジ国営テレビとCNNぐらいしか映らず、ほとんどそれで満足しなければならなかった。そうした状況のなか登場したのが『ターシュ・マー・ターシュ』だったのである。

放送開始直後からサウジ社会を大きく揺るがした

『ターシュ・マー・ターシュ』という番組名は子どもの遊びからとっている。

「ターシュ」は、アラビア語で「炭酸飲料から泡がシュワシュワと噴きでる」ことを意味する。「マー」は否定辞で、したがって「噴きでるか、噴きでないか」といった意味になる。実際には何本かのコーラかなんかの炭酸飲料の瓶をシャカシャカと振って、どの瓶が噴きでて、どの瓶が噴きでないかを当てるという他愛ないゲームだ。

さて、『ターシュ・マー・ターシュ』は、取るに足らないものを象徴するタイトルを冠していたものの、内容はきわめて挑発的であり、放送開始直後からサウジアラビア社会を大きく揺るがすこととなった。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

北朝鮮、東岸沖へ短距離ミサイルを複数発発射=韓国軍

ワールド

ロシア、対西側で危機管理重視 曖昧な核行動には同様

ビジネス

トヨタ、北米で仕入先が人手不足 部品逼迫で停止する

ワールド

マレーシアGDP、第1四半期は前年比4.2%増 輸
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、さらに深まる

  • 4

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 7

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    日鉄のUSスチール買収、米が承認の可能性「ゼロ」─…

  • 10

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story